『古事記』と言えば古典中の古典。
だから『古事記』については、何でも分かっていると思っている人が多いのではないだろうか。
ところがどうして、まだまだ未解明の問題が山積している。
例えば、一般に「序文」と呼ばれている文章の“正体”。
写本にも「序」と書いてある。
でもその体裁は、天皇に『古事記』の完成を伝える報告書そのもの。
純然たる上表文の形式だ。
この『古事記』の巻首に収める文章は、果たして序文か上表文か。
学界でも未だに解決されていない。
そこで及ばずながら、私なりの整理を試みた。
それが近時『麗澤大学紀要』91巻に掲載された「序か、表かーー『古事記』巻首文の性格を巡つて」。
その結論は、元来それは上表文であったのが、後に『古事記』巻首に収められ、序文として転用されることになった、というもの。
本来、序文か上表文かで、文章の信頼性に大きな違いが出てくる。
天皇への公式の報告書である上表文に間違ったことは書けないからだ。
間違いを書けば、古代の刑法と言うべき律の規定で罰則の対象にもなりかねない。
単なる序文なら、多少の誇張なども許されるだろう。
この種の基礎的な謎は、まだ多く残っている。
だからこそ研究もやり甲斐がある。
でもそんなの関係ない、って言われちゃうと、まぁそれまでなのだが。